2007年3月30日 (金)

フィリップ・マーロウは仮説だって

 村上春樹訳の『ロンググッドバイ』を読んだ。読みやすいい訳だったけど、『グレートギャッツビー』のときのように、「これじゃなきゃ」というほどではなかったですね。今まで読み親しんできた、清水俊二訳の『長いお別れ』も捨てがたい。

『ロンググッドバイ』で特によかったのは、村上春樹による巻末の解説。これで、清水俊二訳で細部をはしょっているところが結構あった、なんてことははじめて知ったが、すごいなと思ったのはテリー・レノックスとギャッツビーの二つのキャラクターがかぶることを指摘していたこと。

 さらに、チャンドラーがフィリップ・マーロウというキャラクターを実在し得ない、「仮説」として創造していたという説を示していたが、なるほど、と頷かされた。

 現実には全面的に尊敬できる人間はなかなかいない。常々、尊敬できる人間といえばフィリップ・マーロウかな、と思っていたが、たしかにマーロウの人格というのは全面的つかみ難い。「仮説」ということはある意味「神」である。逆に捉えれば、きれいに描かれた看板か、はりぼてみたいなものかもしれない。村上春樹の小説にも「仮説」的な人物が出てきますね。

 この解説には『はいほー』で村上春樹が書いていた『チャンドラー方式』の出典が紹介されていた。文章を書く時間を決めて、書けなくてもほかのことをしてはいけない、っていう、あれです。生命のある文章は「みぞおち」で書かれるというようなことが書いてあったが、これは同感である。結構普遍的な感覚なんだろうか。

 『ロンググッドバイ』は『長いお別れ』を通じて、ほとんど展開を覚えている小説なのだけど、僕としては読むたびに物語に癒される感じがする。主人公が「仮説」だからこそかもしれない。

関係ないけど、沢木耕太郎はノンフィクションのはずなのに「私」が仮説っぽい。



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